Metallica(メタリカ)
1981年にアメリカのロサンゼルスで結成されたヘヴィメタル・バンド。
ジェイムズ・ヘットフィールド(James Hetfield )
■ジェイムズ・ヘットフィールド(James Hetfield, 1963年8月3日 - ) (Vo/G)
<略歴>
1963年8月3日に、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスにて生まれる。
1981年にラーズ・ウルリッヒらとメタリカを結成。
1992年8月8日、ガンズ・アンド・ローゼズとのスタジアムツアーでのメタリカのステージで、"Fade to Black"のオープニングにおいてパイロテクニクスの事故が発生し、腕や顔などにII〜III度の大やけどを負う。事故後わずか17日でステージへと戻り、その後4週間、ライヴではジェイムズがヴォーカルのみを担当し、リズム・ギターをメタル・チャーチのギタリスト、ジョン・マーシャルが代行した。
<音楽性>
メタリカの音楽に見られるように、速くて重いメタルの曲や演奏を得意とする。メタリカの曲のリフの多くは彼が作り出したものであり、そのためギター雑誌などでは「リフマスター」の異名が与えられた事もある。リードはそれほど得意ではないためか、メタリカの曲のソロの多くはもう一人のギタリストであるカーク・ハメットが担当する。特にレコーディングにおいては役割分担がはっきりしており、かつてはリズムギターの左右両パートともジェイムズが演奏していた。このことにより機械的ともいえるほどの正確なバッキングで冷徹さを醸し出す結果になった。
彼はギターリフについて「ギターリフを、スピーディにかつシャープにするには、ダウンカッティングが重要なポイントになる」と語っている。同じくリフ・マスターと呼ばれることがあるパンテラのダイムバック・ダレルは「強靭な右手を持ちメタリカのリフを支えるギタリスト」と彼を評価している。目安としてBPM200〜210くらいの曲なら8分のリズムをダウンピッキングのみで演奏してしまう。もう一方のギタリスト、カークは同様のBPMの場合アップ・ダウンピッキングを交互に行うオルタネイトピッキングである。
どこか物悲しい叙情的なアルペジオをフィンガーピッキングで爪弾いたり、ブルージーなフレーズを奏でたりと演奏の幅は広い。
ボーカリストとしては野太い声が特徴。ただし一般的なヘヴィ・メタル・シンガーのようにハイトーンで歌うことは現在ではほとんど無いが、1stアルバム『キル・エム・オール - Kill 'Em All - 』の頃にはハイトーンのシャウトを多用していた。年を経るごとに高音の出にくい声へと変化していったが、他のポピュラー・ミュージックのヴォーカルと比べ特段音程が低いわけでない。ボーカリストとしての音楽性を見出したのは『メタリカ - Metallica - 』(通称「ブラックアルバム」)といわれている。なお、現時点での最新作『デス・マグネティック』では、リック・ルービンのプロデュースで声のキーを以前並みの高さに戻している(同作品のライナーより)。また、独特のこぶし回しが特徴的で、1990年代以降は彼のボーカル・スタイルを模倣するバンドがヘヴィ・メタル以外の音楽でも多く現れた。コンサートで時折デスボイスのような声で歌うときもある。
<機材>
○ギター
バンド黎明期〜1984年位まではギブソンのフライングVを使用していた。フライングVが故障したためギブソン・エクスプローラーを使用し始める。エクスプローラーシェイプのカスタムギターに移行するきっかけはファンの間でも有名なEMGのピックアップを搭載したナチュラルフィニッシュのものだった。その後は1984年製ギブソン・エクスプローラー(ピックガード無し)とほぼ同形のESPのカスタムメイドのエクスプローラーを永らくメインギターとして使用していた。3rdアルバム時はリア・ピックアップにギブソン・ダーティフィンガー]を搭載していたが、4thアルバム以降からは現在でもお馴染みのフロントにEMG 60を、リアにEMG 81を搭載するようになった。また現在はフライングV、レスポールシェイプも愛用している。これらのギターには前述のEMG81、EMG60の組み合わせに加え、マシン・ヘッド部はスパーゼル社のロック式ペグ、TrimLockを装備している。また、レコーディングやMTV.ICONのステージではESPのフォレスト・シェイプの7弦ギターも使用した。 以前はESP、LTDからジェイムズ使用のエクスプローラーと同形のモデルが販売されていたが、現在はカタログから外されている。
キル・エム・オール
■キル・エム・オール - Kill 'em All (1983)
キル・エム・オール(Kill 'Em All)は、スラッシュメタル・バンド、メタリカが1983年に発表したデビュー・アルバム。発表当時はヒットしなかったが、後にスラッシュメタルの先駆けとして再評価された作品。1984年に日本発売された時は、ジャケットのイメージから『血染めの鉄槌(ハンマー)』という邦題がついていた。
<解説>
プロデューサーのクリス・トーマスは、既にプロコル・ハルム、ロキシー・ミュージック、サディスティック・ミカ・バンド等を担当デビュー前、メタリカは2回のメンバー・チェンジを経験した。ロン・マクガヴニー(ベース)が脱退して後任にクリフ・バートンが加入し、更にデイヴ・ムステイン(リードギター)を解雇してカーク・ハメットが加入。本作収録曲の大半は、既にデモ・レコーディングされていた楽曲の再録なので、デイヴが作曲に関与したものも4曲ある。一方、クリフはベース・ソロによるインストゥルメンタル曲「(Anesthesia)Pulling Teeth」を作ったのみにとどまり、カークは曲作りに参加していない。
「The Four Horsemen」は、元来セックスを題材とした「Mechanix」という曲であったが、本作のレコーディングあたりヨハネの黙示録の四騎士を題材にした歌詞に変更された。 また楽曲自体も中間パート加え「Mechanix」より長い構成になっている。
デイヴ・ムステインは、メガデス結成後に自分が作曲に関わった「Mechanix」のオリジナルに近いバージョンをメガデスのデビュー・アルバムに収録した。 メタリカの伝説のデモ・テープ『ノー・ライフ・ティル・レザー』で「Mechanix」のオリジナルバージョンを聴く事が出来る。
また「The Four Horsemen」のイントロリフはブリッジミュートをしたオルタネートピッキングなのに対し、メガデスの「Mechanix」はミュートをせず、ピッキングもダウンピッキング→プリングである。ジェイムズ、デイヴがギターを弾いているノー・ライフ・ティル・レザー収録の「Mechanix」では2人が前述の2通りの奏法を分担している。
<収録曲>
1. ヒット・ザ・ライツ - Hit The Lights (Hetfield-Ulrich)
2. ザ・フォー・ホースメン(*電撃の騎士) - The Four Horsemen (Mustaine-Hetfield-Ulrich)
3. モーターブレス - Motorbreath (James Hetfield)
4. ジャンプ・イン・ザ・ファイアー(*炎のジャンプ) - Jump In The Fire (Mustaine-Hetfield-Ulrich)
5. (アネージア)プリング・ティース - (Anesthesia)Pulling Teeth (Cliff Burton)
6. ウィップラッシュ(*鞭) - Whiplash (Hetfield-Ulrich)
7. ファントム・ロード - Phantom Lord (Mustaine-Hetfield-Ulrich)
8. ノー・リモース (*懺悔無用)- No Remorse (Hetfield-Ulrich)
9. シーク・アンド・デストロイ(*見つけて壊せ) - Seek & Destroy (Hetfield-Ulrich)
10. メタル・ミリティア(*メタル軍団) - Metal Militia (Mustaine-Hetfield-Ulrich)
※(*)は1984年当時の邦題。
バイオグラフィ
1981年10月、ラーズ・ウルリッヒがジェームズ・ヘットフィールドを誘う形でメタリカが結成される。
1982年、アメリカのインディーズ・ヘヴィメタル・レーベル「メタル・ブレイド・レコーズ」で製作されていたコンピレーションアルバムの第一弾『メタル・マサカー - Metal Massacre - 』に提供するために「ヒット・ザ・ライツ - Hit The Lights - 」をレコーディング、その直後にデイヴ・ムステインが加入する。
o 6月、『メタル・マサカー1 - Metal Massacre 1 - 』がリリースされる。
o 数ヶ月後、オリジナル7曲入りのデモテープ『ノー・ライフ・ティル・レザー - No Life 'Till Leather - 』を制作する。
o デイヴと他メンバー間の衝突は、ロン・マクガヴニーの脱退を引き起こし、バンドは新たなベーシストを探すこととなる。
o 12月、新ベーシストとしてクリフ・バートンが加入。
1983年2月にサンフランシスコに拠点を移す。
o 4月にデイヴ・ムステインが解雇され、エクソダスのギタリストであったカーク・ハメットが加入する。この際、既に日本でデビューしていたLOUDNESSのギター、高崎晃へ加入のオファーがあったことが後に明らかになった。実際はメタリカのメンバーからの誘いではなくメタリカ側のスタッフからのオファーであったとされている。
o 7月にインディーズ・レーベルメガフォースより1stアルバム『血染めの鉄槌(キル・エム・オール) - Kill 'em All - 』でデビュー。
* 1984年初頭、ヴェノムのサポートとしてヨーロッパツアーを行う。
o 6月に2ndアルバム『ライド・ザ・ライトニング - Ride The Lightning - 』発表、年末より大規模な欧米ツアーを敢行。メジャー・レーベルエレクトラとの契約を獲得し、Qプライムとマネージメント契約を締結。
1985年8月、イギリス・ドニントンパークで開催されたモンスターズ・オブ・ロックに出演。
1986年3月、3rdアルバム『メタル・マスター - Master Of Puppets - 』発表(メジャーデビュー)、ビルボード29位にランクイン。50万枚以上の売り上げを記録し、メタリカ初のゴールド・ディスクを獲得する。なお、この3rdアルバムは『ヘヴィメタル史上屈指の名盤』と称されている。このアルバムの成功は、メタリカの名を世界中のロックファンに知らしめる契機となった。
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ダメージ・インク・ツアー
ダメージ・インク・ツアーでヨーロッパ巡業中の9月27日、スウェーデンでメンバーの乗ったバスのスリップ事故により,ベーシストのクリフ・バートンがバスの下敷きになり死亡。9月27日以降のツアーを急遽キャンセルしたメンバーは翌28日にアメリカに帰国、10月7日の葬儀参列後、後任ベーシストのオーディションを行い、元フロットサム・アンド・ジェットサムのジェイソン・ニューステッドがメタリカに迎えられる。
1987年8月、初期のカヴァー曲をレコーディングした『メタル・ガレージ - The $5.98 E.P. Garage Days Re-Revisited - 』(EP)を発表。一時期は入手困難のため、かなりの高額で取引されていた。
1988年9月、4thアルバム『メタル・ジャスティス - ...And Justice For All - 』発表。ベースの音が聞こえない、ドラムの音が電子音の様に聞こえることで物議を醸したが、名曲「ワン - One - 」を収録し、初のプロモーション・ビデオも発売されビッグ・バンドの地位を築き始めた事も事実である。プロモーションビデオは名作映画『ジョニーは戦場へ行った』(1971年発表)の映像がコラボレートされ、ジャスティスツアーのライブセットではCDジャケットの石像が崩れ落ちる大仕掛けなものであった。
1989年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門に「ワン - One - 」がノミネートされたものの、受賞は逃す。(受賞したのはジェスロ・タル)
1990年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門で「ワン - One - 」が受賞。グラミー賞会場はタキシードあるいはフォーマルスーツが恒例で、そんな中メタリカは例のいつものブラックジーンズ姿といういでたちでさっそうと登場。この事はグラミー賞の歴史上、異例のことであった。
o 10月より、アルバム制作にとりかかる。
1991年8月、5thアルバム『メタリカ - Metallica - 』(通称ブラック・アルバム)を発表、全米初登場1位を獲得する(以後4週連続1位)。全世界で2000万枚を超える大ヒットを飛ばす。3年に亘る長期間のワールドツアーを終えた後、暫く休養期間に入る。
1996年6月、6thアルバム『ロード - Load - 』を発売し、全英・全米1位を記録。しかし、前作から大幅に変わった音楽性は一部のファンに不評であり賛否両論を巻き起こした。
1997年11月、7thアルバム『リロード - Reload - 』発表、全米1位を獲得するものの、2作続けて同等の路線にスレイヤーは「メタリカは死んだ」と発言。ただし収録曲のほとんどが『Load』製作時の楽曲であり、『Load』に収録しきれなかった楽曲である。(2枚組で発売する案もあったが見送られた。)
1998年11月、カヴァー曲を集めたアルバム『ガレージ・インク - Garage Inc. - 』発表。
1999年11月、メタリカ本拠地のオーケストラ、サンフランシスコ交響楽団との競演ライヴアルバム『シンフォニー&メタリカ - S&M - 』発表。
2000年4月、ナップスターを相手取り、著作権侵害、デジタル音楽ソフトの違法使用及び不正組織防止条例の違反で訴えを起こす。
2001年1月、ジェイソン・Ballsニューステッドが脱退。
2003年2月、新ベーシストとして元スイサイダル・テンデンシーズ〜オジー・オズボーンバンドのロバート・トゥルージロが加入(ちなみに同年、元ベーシストのジェイソン・ニューステッドがオジー・オズボーンバンドに参加)。
o 6月、8thアルバム『セイント・アンガー - St. Anger - 』発表。来日公演ではツアー前にキャンセル誤報があってファン達を困惑させたものの、国内のファンを熱狂させて大成功を収めた。ロバートがオーディションにより加入したのは、このアルバムがほぼ完成した後(アルバムは発売前)であり、MTVアイコン・アウォードを受賞する際にある意味サプライズ的に加入が公表された。このアルバムでベースを弾いているのは、プロデューサーのボブ・ロックである。ボブは、『ブラック・アルバム』から4作品連続でプロデュースしている。
2004年、8thアルバム『セイント・アンガー』が完成するまでの3年間に密着した(1600時間もの膨大なテープを編集した)映画『メタリカ:真実の瞬間- Some Kind Of Monster -』が製作され、日本では2005年7月より限られた劇場でのみ上映された。
2006年8月、千葉と大阪で行なわれたサマー・ソニック'06へ参加。アルバム『メタル・マスター - Master Of Puppets - 』の発表から20周年を迎えるこの年を記念して、アルバム全曲を曲順通りに演奏した。演奏終了時にヴォーカルのジェームズ・ヘットフィールドは「Master Of Puppets! Happy 20years anniversary!」と咆哮、モニタ画面には故クリフ・バートンの遺影が映しだされた。
2006年12月、1989年から2004年までの間にリリースされた21曲のPVを収録したDVD、「ザ・ビデオズ 1989-2004」を発表。ビルボードビデオチャート3位を獲得。
2008年9月、9thアルバム 「デス・マグネティック - Death Magnetic - 」発表。前作まで担当したボブ・ロックに変えてリック・ルービンを新たにプロデューサーに起用して制作された。世界25ヶ国でアルバムチャート1位、オリコン初登場3位を獲得。
2009年4月4日、オハイオ州クリーブランドでの授賞式にてロックの殿堂入りを果たした。セレモニーでのライブでは、2001年に脱退したジェイソン・ニューステッドも参加して「Master Of Puppets」、「Enter Sandman」の2曲が演奏された。さらに初代ベーシストであるロン・マクガヴニーと、1986年にツアー中の事故で亡くなった2代目ベーシスト、クリフ・バートンの父親も授賞式に招待された。元リードギタリストであり現在はメガデスで活動するデイヴ・ムステインはジューダス・プリーストとのヨーロッパツアーに帯同しており参加できなかったが、受賞を祝福する声明が発表された。
他ジャンルへの影響
ロックに限らず幅広いジャンルのアーティストによって、楽曲がカヴァーされている事でも知られている。その中でも珍しいものについて、メンバーがBURRN!2006年6月号に掲載されたインタビューの中で言及した処によると、ゴスペルシンガーとして知られ、砂に書いたラブレター等のヒット曲を持つ、ハードロックやヘヴィメタルをカヴァーした事で物議を醸したパット・ブーンにカバーされている(アルバム"In A Metal Mood"収録、邦題は"メタルバカ一代!")。また、ウィーン少年合唱団の少年たちは、メタリカの楽曲『ナッシング・エルス・マターズ』を、ザ・ビートルズ、セリーヌ・ディオン、エンヤ、マドンナ、バックストリート・ボーイズらの楽曲と共に、12曲のポップ・ミュージックの中に選び、アルバム『ゴーズ・ポップ』を収録した。このカヴァー曲について、カーク・ハメットは「かなり壮大な仕上がりだった」と評価した。エニグマを手掛けたプロデューサーであるフランク・ピーターソンのプロジェクト"グレゴリアン"でも、 同曲をグレゴリア聖歌によってカバーしている。また、ブルーグラス(アコースティック楽器による北米大陸の民謡スタイルのカントリー・ミュージック)風にカヴァーされたコンピレーションアルバム『Fade to Bluegrass』(メタリカの楽曲『Fade to Black』をもじったもの)までもが存在する。フィンランドの「メタル・チェロ四重奏」のグループアポカリプティカは、メタリカの曲を多数カバーしている。この様に幅広いアーティストによってカヴァーされている事について、メンバーたちは歓迎の意を表している。
音楽的特徴とその影響力
スラッシュメタルの先駆者としても知られ、1stアルバムではNWOBHMの影響を存分に受けたスラッシュメタルであったが、2nd〜4thアルバムでは叙情的なフレージングと冷徹なヘヴィリフのコントラストを融合させたヘヴィメタルへと進化させた。
古典的なヘヴィメタルの様式美とは若干異なり、冷ややかさのある耽美的な美旋律が特徴である。
5thアルバムでは、スピードよりもグルーヴを重視した作風に変化し、当時のヘヴィメタルに留まらず、後のニューメタルやラウドロック等のロックミュージック・シーンに多大な影響を与えた。
他アーティストの楽曲のカヴァー・ヴァージョンもレパートリーにしており、シン・リジィ(『ウィスキー・イン・ザ・ジャー』)・バッジー(『ブレッドファン』など)・モーターヘッド(『オーヴァーキル』)の70年代ブリティッシュ・ハードロックや、ダイアモンド・ヘッド(『ヘルプレス』など)をはじめとするNWOBHM勢の曲、ハードコア・パンクバンドのアンチ・ノーウェア・リーグの曲(『ソー・ホワット』)も含まれており、ここからメタリカのルーツを知ることができる。
バンド名の由来
ラーズの友人であるサンフランシスコ地区メタル・プロモーターのロン・クインターナが新しいメタル雑誌の名前を、ラテン語で「金属」を意味する『Metallica』にしようとした際、ラーズがすぐに別の名前『Metal Mania』を提案し、『Metallica』という名前は自分とジェームズが始めたバンド名にすることを決めた。